プロダクション・ノート
製作総指揮 マッタンタン・シラキ
 映両『シティ・オブ・ドラゴン』は二人の映両青年の突然の訪問から始まった。2001年春の話だ。親富孝通りを舞台にした映両を作りたいから、協力してほしいという。内容を聞くと東京から帰ってきた若者と地元に住む娘との恋の物語だという。どこにでもある商店街おこし映両のプロットだったので、聞いているうちに眠くなった。眠気を覚ますために、私がアクション映画なら面白いから協力してもいいと切り出したのが間違いの姶まりだった。私があたためていた小説"シティ・オブ・ドラゴン"の切支丹黒田武土の子孫が福岡に、中国マフィアとして戻ってくるプロットを話した。彼らの眼が輝いた。

それから…一年半の月日が流れ、映画が完成した。
夢見る二人の映画青年と、ラスベガス・ニューヨーク・番港・マカオ・グアム・パリ・ソウル・エジプト、湯布院・阿蘇と、かつて私が石油・地熱掘削技師として働いた世界中の思い出の都市を旅をしながら、映画のロケを敢行した。
映画の脚本は二人の性格にあわせて組み立てた。本田君は映画『レオン』のジャン・レノに似た風貌。内田君は映両『イヤー・オブ・ドラゴン』のジョン・ローン似の風貌。どちらの映画も私の大好きな映画だ。シナリオはこの二つの映画と女性を主人公にした映画『ニキータ』をあわせた脚本にすることにした。
ニキータ役の"麻衣子"には、親富孝通りにある劇団銀色のくじらの最所美咲さんを頼むことにした。彼女は素晴らしい演技力で、この映画の悲しみと怒りを見事に表現してくれた。
アクションシーンは、映画大好きの少林寺拳法の達人・高比良先生との出会いにより迫力あるものになった。これはこの映画にとって最大の転機となった。本田君はアクションシーンを白分でやるために先生の道場に通い、少林寺拳法の技と精神を学び、人間的にも大きく成長した。監督・脚本・役者・カメラマン・編集と五役をこなした内田君は、現代青年らしくカットの絵コンテやコンピュータ技術を独学でマスターして、映画製作に大きく黄献した。彼のカット割は新しい映像感覚を見事に表現してくれた。また、地元の俳優たちとの窓口と演技指導役を引き受けていただいた劇団銀色のくじら西城先生との出会いは素暗らしいものであった。武道大会でのエキストラの動員や演技指導、肥前夢街道の時代劇ロケなどの難問は、西城先生の力なしでは実現できなかったことだろう。ほとんどの出演者は親富孝通りの住人と経営者ばかりだ。素人の起用はこの映画を面白くしたと思う。当然ながら、演技は期待できないわけであるから、キャスティングは存在感のある人をキーワードとして、毎日、街を歩きながらこの人と思った人に声をかけ出演をお願いした。ところがこの素人たちが見事に与えられた役を演じてくれた。特に外人役の青龍やジェームス、ネルソン、ランプ、王などの本当の外人たちの演技力には目をみはらされた。映画がここに完成し、皆様に見ていただけるのも、皆様のご支援のお蔭です。本当にありがとうございました。では、ごゆっくりとご覧下さい。

平成14年8月1日
親富孝通りの白宅にてマッタンタン・シラキ